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情報社会の未来像

知り合いの日記に書いてあったのですが、
昔のマンガやゲームに良く描写されていた年号(2010年以降)が今なんだと。

加えて、そんなマンガやゲームに『描いてあったような未来じゃないね』と。
手塚治虫や藤子不二雄が描くようなチューブを車が通ってるようなやつですね。
確かに今になってもそういうのが無くて多少のガッカリ感がありますが、
逆をいうと歴史が進むにつれてそういうモノは必要ないと判断された面もあります。

上記のような戦後の作家が描いていた未来像というのは、
高度成長期の『物質社会』を延長した未来なのだそうです。
ただ、昭和から平成の境目辺りで物質面は飽和状態となり、
現実世界は『情報社会』の未来へと分岐しているということです。

そういった平成時代の象徴的な未来像がエヴァンゲリオンで、
一般人の居住区には電柱もあれば古民家もあって、
しかし地下にスーパーテクノロジーを駆使した基地があったり、
行政がコンピュータ化されていたりと『見えない所』に技術が使われている。

カウボーイビパップでは普通に宇宙旅行なんかしながらも、
現代と変わらない南欧建築の廃墟で光線銃ではなく鉛玉で撃ち合ってたり。
ガンダムも近年ではスペースコロニーがありながら、
地表の中東地区では昔ながらのレンガ造りに住んでいたりする。

近年のSF作品では、確実に『未来像の路線変更』が行われています。

エノキダケ状の金属のビルも無ければチューブに車も通ってませんが、
古民家に住むババァが自分の作った陶芸をブログにアップはしてるわけです。
見落としがちではありますが、携帯電話なんかはすでにウルトラ警備隊レベルかと。
そういった意味では、路線変更こそありましたが、今は確実に『未来』になっています。

…何でこんな話を始めたかというと、
次作ろうとしてるゲームでそういう打ち合わせをしてるからなんですケド。ウケる!