セクハラサイコロの先生がいい人だってのは良く分かった。
ただ、やっぱり『セクハラサイコロ』は客観的に見てアウトだろ?
良い先生・悪い先生に関わらず、そういった常識的・客観的な
視野に欠ける事が『教員』という職種全般の課題事項であって
『いい先生だったのに気の毒ね』で済ませてるんだとしたら
似たような問題は何度だって起こるし、モンペに付け入る隙を与え続けるぞ。
そしてこの『いい先生説』は例によってネットの口コミとやらで知らされるそうです。
こういう話題で母がいつも言うのが、俺か妹が学生だったときの先生が
冬にコートを着ないでマフラーを巻いていることに注意をしたというエピソード。
そもそも注意の論点が意味不明だし、マフラーの方が機能的だろマフラーと。
…しかし、母は過剰にマフラーが好き過ぎである。話題を戻そう。
生活指導の指標として現代社会の世相を分析し、
他校の事例・最新の児童心理学を踏まえて
教職員間の共通認識の統一を図るまでの試みをしていますか?
否ですね?実際は何十年も前に作られた校則の文面を
『我が校の伝統』という詭弁で惰性になぞってるだけですね。
そんな中身のない指導者を生徒が従い、父兄が信頼すると思いますか?
『服装の乱れは心の乱れ』は現代において通用しますか?
現代において反社会的な意図を持って
着崩しを行ってる生徒がどれほど居るのでしょうか。
美容・ファッションという分野に対する生徒の興味を削ぐことに成功したとして、
今や一大産業となっている該当産業に将来従事し糧を得るかもしれない
生徒の将来にどれほどの責任が持てますか?自らの指導に合理的な説明ができますか?
ひとつ分かったのは、俺はモンペの才能があるらしい。